『血管迷走神経性失神』ってご存知でしょうか。
実は私、20代の頃からこれを年に一度あるかないかくらいのペースで発症しておりまして、長女の妊娠中は2回ありました。
原因がさっぱり分からなくて、今通っている病院でその症状を先生に話して、初めて病名を知りました。
妊娠中の時は2回のうち2回ともコンサートやライブを観に行ったときに起こり、その一度は人生初の救急車に乗り、チケットを取ってくれた友人に申し訳なくて仕方なかったのを覚えています。
それが土曜の夜、家族団らんの食事中に発症しました。
夫が作ってくれた鶏すき焼きをみんなで囲んでいるとき、突然目の前がふらつきはじめて、これはちょっとおかしいなと思って横になったら、そこから吐き気、動悸、手足のしびれ、息切れ、寒気と猛ラッシュ。
もう自分ではどうしようもなくて、しかもいつもは横になってしばらくしたら治まるのに、今回は治まってきたと思ったらまた悪化するのを3度繰り返しました。
大した病気ではないようなのですが、それでもそうなった時は私にとっては一大事で…。
特に吐き気と腹痛が同時に来たときは、どっちを便器に優先する?ってめちゃくちゃ慌てます(笑)
いや、ほんと笑いごとではないんです。
すっごい量の汗が出ることもあって。
とりあえず転倒すると怪我をするので、早めに横になって、治まるのを待つ以外ないのですが。
もしいい対処法をご存知の方がいらっしゃったら教えてください。
今回は幸い夫が家にいる時だったので、子どもたちは見てもらえるし、とてもラッキーでした(笑)
あ、また笑っちゃってる。
でも、うちの夫と言えば、私が病気になったとき必ず自分も調子が悪くなって、私の看病ができない人。
忘れもしない、娘二人のインフルエンザの看病後、私が発症してさらに急性中耳炎も併発して高熱と耳の痛みにもだえ苦しんだ日。
「俺もしんどいから」と私を放置した夫。
おかげでしばらく難聴になりました。
が!しかし!
そんな夫が今回リニューアルしてました。
私のしびれた手を(ややめんどくさそうにとはいえ)さすってくれて、子どもたちをお風呂に入れ、食後のあと片付けをし、さらには悪寒のする私に足湯を用意してくれて。少し回復した私の「ごはんってまだ残っとる?」という言葉に、「おかゆ作る用意しとるよ」と言って、なかなか味濃いめのおかゆを作ってくれました(体調の悪い時は、うすーく塩!)。
いや、ほんと何度この人との離婚を夢見たことでしょう。
でも鎹(かすがい)たちを思って、なんとか踏みとどまり、歯を食いしばって耐えてきました。
でも、思えば結婚当初、家事を何もしなかった夫が、週末の洗い物をしてくれるようになり、しばらくして週末の夕飯作りを担当してくれるようになり…少しずつ変わっていきました。
今でも腹の立つことは山ほどありますが、私が病気の時に、急に病気にならなくなったのはとても大きな進歩です(笑)
さて、日曜の午前中は、長女のリクエストで小学校の雲梯をしに行きました。
1学期から一生懸命練習していた一個飛ばしがやっとできるようになって、見てほしくてたまらなかったようです。
次女も、はしゃぎ倒しておりました。
結局、帰り道の公園にも寄って、娘たちはとても楽しそうでした。
視線の先にはとーちゃん。
こういう光景を見る度、私の選択は間違ってなかったなと思います。
夫と別れていたら、それはそれでバラ色の人生が待っていたかもしれないけれど。
それでも娘たちのこの笑顔は見られなかった気がします。
明日にはまた、“ なんでこんな奴と結婚したんだろう。ウキーッ! ” って思ってるかもしれませんが(笑)
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